世界を俯瞰し、明日を拓く学びのプラットフォーム
未来を変える学びの旅
あちこちに刺激が落ちている

徒然日記
国、社会、企業から人材が育つには
今、企業の競争力が大きく揺らいでいる最大の問題は人材にある。過去、日本の企業が国際的に競争力があったのは、社員の教育レベルが高く、現場での規律が正しく、組織としての生産性が非常に高かったからだと思われる。
しかし、ドルおよび英語圏を中心にグローバル化が進み、多様な民族が融合することにより新たなイノベーションが生まれ、競争力の高い企業や国がイニシアチブを取って経済的にも政治的にも優位に立つようになった現在において、今までの日本の教育レベルの高いだけの民族だけではグローバルに立ち行かなくなってきた。
更に、その日本の強みであった教育レベルも、1970年代以降の高度成長時代に経済バブルに浮かれて、政治も企業の経営も国民の教育もないがしろにされて、1990年のバブルの崩壊以降、国としても方向性を失い、多くの企業において失われた20年が過ぎていった。
この失われた20年の間、世界的な環境問題や経済問題が多発する中で、その問題を克服するのではなく、多くは世界的な問題に引きずられると共に、世界の最前線の社会問題(少子高齢化)を抱え、国内には多大な債務を抱え、国としての将来展
国、社会、企業から人材が育つには
望が見いだせず、閉塞状態に陥ってしまった。
このような状況において、一番問題なのが、将来の夢が見いだせなくなったことにより国民や社員が希望を失い、困難な局面でチャレンジすることも少なくなり、若い人材を中心に内向き思考になり、人が育たなくなったことである。どんな局面でも、人が育っていれば、なんとか打開できるが、人の活力が失われて、更に高齢化が進めばいつかは行き詰ってしまうことが懸念される。
この状況を打開する鍵は、国民、そして社員が、国の将来、会社の未来に対し、少しでも夢と希望を持つことである。少子高齢化の現実は避けることはできないが、少子高齢化社会において国として会社として活力あふれる充実した社会を形成することは可能であると思う。
そのためには、まず、世界で何が起こっているのか、そして日本、社会、企業がどうなっているのか、どうしてそうなったのか、そして変わるためには何が必要か、改めて正しく認識・理解して、改善・解決するために必要なことを確実に行動・実行していかなければならない。
今、社会はどろどろとした既得権欲や、利己欲が蔓延し、内部での綱の引き合い、揚げ足の取り合いを行い国として全体のパフォーマンスを上げられない状態が延々と続いている。そのため、どんどん債務と問題が先送りになり、日本の未来を担う若者に希望ではなく、絶望を与え続けている。
多くの国民はこのままではだめだと思い、この国、社会を良くしようと努力をしているが、多くの国民の思いがなかなか国としての力として結集することが出来ず、多くの場合、不毛な論争や施策に終わっている場合が多い。
ではどうすれば、このような状況を打開できるのであろうか。その打開策をこのブログで一つひとつ示していきたい。この状況を打開することは決して難しいことではなく、一つひとつ正しいことを行っていくしかない。その正しいことを、次回より書いていきたい。
アドラー心理学によれば、人格は過去ではなく、未来に向けてどう考えるかによって形成されるという。人は過去に向かって生きることはできない。今、生きているのは、未来があるからだ。その未来をどうするのかは、今が決める。また、今は未来のためにある。未来を変えたかったら、今を変えるしかない。
今日、一日がよかったかどうかは未来が決める。その日そのすべては希望から日がつながって未来となる。その未来を変えるにはどうすれば良いのだろうか。まずは、強く未来を呼び込まなければならない。自分の未来はどうありたいか、そして、世界をどうしたいか。そう願うことからしか、未来は拓かれない。
何がすべてか分からいが、もし生きていることがすべてであるならば、それは希望によって実現される。人それぞれに持っている希望によって世界は作られ、未来が作られる。今、この時を希望をもって生きるならば、必ず未来は拓かれる。すべては希望から生まれる。
時代のリスクにどう立ち向かうか
世界はアメリカによって作られた限定された平和のもと、金融自由化により世界的な金融バブルを作り出し、BRICSを中心とした新興国の経済発展にグローバルマネーが集中し、金融バブルの元、多くの中間層と世界的な人口増加をもたらし、CO2 を中心にした環境破壊により歴史的な地球温暖化が急速に進み、異常気象や天変地異が増え、経済的にも自然環境的にも人類は大きなリスクに直面している。
この危機の時代に生き抜くことができるのは、世界で起きている真実を的確に捉え、将来発生するであろうリスクに備え、リスク分散すると共に、そのリスクに立ち向かうことができるよう、知力と体力を鍛え、グローバルで戦える人材を排出できる民族である。
日本人は、その歴史的な背景から島国としての危機意識を持ち、サスティナブルな組織を形成することに長けている文化をもち、その持ち前の勤勉さにより人と組織の能力を高めてきた。これからまもなくやってくる受難の時代を生き抜いていくには、いかなるリスクにも対応し、乗り越えられる人材を育てていかなければならない。
いかなるリスクにも対応し、乗り越えられる人材を育てるには、何が必要か?次回、考えてみたい。
2013年1月20日アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で日本人らがイスラム過激派武装勢力に拘束された事件で、日本人一人を含む外国人の人質7人と犯行グループの11人が死亡したと報道された。
この事件の背後には、シェルガス革命に湧くアメリカがエネルギー政策を見直し、世界でのガバナンスが手薄になり、世界が混沌としてきた背景がある。また、アメリカは経済的にも軍事力的にも衰退してきており、アジア、中東の新興国が勢力を付け、世界が多極化に向かい色々な面で不安定になっていることも影響している。
今まで世界は比較的安定な時期を過ごしてきたが、それは第二次世界戦争後の長期的な世界秩序に守られてきたからであり、その秩序がテロや軍事力で脅かされ、それが全世界のバランスを崩したとたん、日本人としても安全・安心・自由でいられなくなることを今回の事件は物語っている。
グローバル金融経済が進んだ現在、もはや日本は国内経済だけでは存続できないことは明白であり、政治・経済・文化すべてに渡り世界と向き合っていかなければならない。そのために何をしなければならないか、来るべき将来のリスクを予期し、深く考えなければならない。
しかし、今の日本のマスコミ報道や、政治家、事業家、学者等の有識者の発言を聞いていると、現在の世界の実態を把握できておらず、また世界の実態に対し歴史的にも宗教的にも無頓着であった日本人の内向き思考が露呈しているような気がする。
今起きている事実を正しく認識し、来るべき大きな時代変化、環境変化に耐え、それを乗り越えなければ日本という国は存続しえないのではないかと思う。現在の様な変化の激しい時代で生き残ることができるのは、ダーウィンの進化論で語られた様に、強いものでも賢いものでもなく、変化に対応できたものだけが生き残る。
強いものは、その場で強いのであって、場や時間が変わった場合は、その強さは維持することができなくなる。また、賢いものも、来るべき環境変化の兆候を察知し、その変化に対し対処し、実行しなければ、生き残ることはできない。
今、日本がなさなければならないことは世界で起きている事実を理解し、今後世界の各国が取るであろう施策を予想し、日本として生き続けるために行わなければならないことを見極め、早急に実行することである。しかし、今の日本、企業で起きていることは、内向き思考で、世界の動きを見ることをせず、目の前、目先にあることだけに対処することで、アップアップしているのが実態である。
もう一度、現実を正しく受け止め、正しく対処するにはどうしなけれなならないのか、深く繰り返し考えて、既に決まった未来に対処するとともに、いつ起こるかどうか分からないことにいつでも対処、行動できる能力を鍛え、向上させていかなければならない。
学ぶことと生きること
仕事をしていて楽しいことは、仕事を通して多くの人に出会い、多くのの人に触発されて、今までと違う世界を知り、新しい知見を学び、自分が成長したと実感できた時だ。新しい世界を知り、その新しい世界、未知の世界で冒険をして誰も知らない境地を経験できることほど楽しいことはないと思う。
何故、新しいことに挑戦して、新しい体験をして、新しい世界を知ることが楽しいのであろうか。学ぶということは、常に自分が知らないことを知り、経験することであり、そういう意味では、学ぶということは未知への挑戦でもある。
人間の本質は、楽しいこと、嬉しいこと、感動することに心が動かされ行動する生き物である。決して嫌いなこと、辛いこと、面白くないことに対し人は反応しない。人間の心には、人類の1万年を超える進化の過程で、その感情が植え込まれている。
その本質を考えると、新しいことにチャレンジして、新しいことを発見して、新しい世界を学ぶこととは、人間として生きることに他ならないと思う。生物は、自然環境の中でじっとしていては、食物を得ることができない。常に新しいものにチャレンジして、新しいことを学ぶことで、生物としての種を存続して来た。
そう考えると、「学ぶこと」とは、すなわち「生きる」ことである。人類は、自然から、歴史から、経験から、蓄積された学問から多くを学び、そこから喜びを得て進化してきた。人間の本望は学ぶことにあり、すべてから学ぶことこそ、人間に取っての天命ではないだろうか。
学ぶことと生きること
世の中で大成した人の多くは、死ぬような思いに遭ったか、死を意識して生きた人が多い。ソニーを創業した井深大は身体が弱く、自分は60歳で死ぬと思って生きたという。また、アップルで有名なスティーブ・ジョブスは、10代の終わりの頃、もし自分が今死ぬとしたら何を後悔するだろうかと考えて自らの人生を歩んだ。
人は死に直面して、生きることの大切さを再認識する。
ジャーナリストの筑紫哲也は73歳で癌に倒れる1年前よりジャーナリストとしての自分、家族の主としての自分、未来の若者に希望を託す自分を見つめ、余命を残日録に書き留めて死ぬ直前までテレビに出演し、家族を愛して、学生への大学での授業を行った。
また、筑紫哲也の最後の多事争論のコメントは我々の心に強烈に響いた。
「人間は癌に掛かると、その癌と戦うために未来を考えることも過去を省みることもできなくなる。今の日本の状況はまさに癌にかかっていると思われる。本来、政治は国のお金を今まで尽くしてくれた高齢者と、これから国を支えるであろう若者と現役世代にバランスよく配分するのが本分である。しかし、その政治が全く出来ていない。」
このコメントは、全身を癌に犯され、自身の本分である明日へのメッセージが、自らの癌との闘病で言えくなってしまったことで、目の前の出来事ばかりに振り回されている政治家、国の中枢に対する最後の痛烈なメッセージとなった。
政治家も国の中枢も、まずは、その現実を受け止め、癌を治すことは、非常に困難ではあるが、早い段階で治療しなければ、最後を早く迎えることを筑紫哲也さんは、自らの壮絶な死で最後に語ってくれた。
共感する力
かつて松下幸之助は、自らの経験を踏まえて会社の社員を採用する基準は、「運が強いこと」と「愛嬌があること」の2つを重要視したらしい。運を引き寄せるにも、愛嬌をもって人に愛されるにも必要な力は「共感する力」にあると思う。
何故、共感する力が大切なのであろうか。共感は双方向のコミュニケーションの基本であり、共感することにより、人は受け入れられたことに安心感と満足感を得るのではないか。その安心感と満足感が信頼感に発展し、共感と共に一緒に経験を積むことにより深い相互信頼が形成され、ビジネスが発展すると思われる。
ビジネスの本質は「信頼関係」にある。お金は信頼の証だし、取引は信頼関係があって初めて成立する。また会社組織はお互いの信頼関係があって初めて成り立つし、コミュニケーション一つをとっても、信頼なくして正しいコミュニケーションは成立しない。
そう考えると、ビジネスを成立させる信頼関係を支える人としての大切な特質は「共感する力」にあるのではないかと思う。人を自分を認めてくれる人を信頼する。自分を認めてくれる最高の状態が「共感」ではないだろうか。人は自分に共感してくれた人に愛着を感じることはありさえすれ、共感してくれた人に嫌な感情を持つことはない。
ビジネスの基本は信頼にあるが、その信頼は、「共感」という、共に感じるこころ、人間の根源的なこころである感情に起
共感する力
因している。人を安心させ、頼りに思うには、そう感じさせる何かが必要である。それこそ、「共感する力」ではないだろうか。
「共感する力」の向上こそ、これからのビジネス発展のために最重要課題として取り組まなければならない能力であり、今必要とされる感性、こころのあり方だと思う。
最高のスキルとは
成功した人と成功しなかった人の差は、経験から学ぶ力の差ではないだろうか。成功した人は、自分の経験を含めてあらゆることから、多くを学ぶことができた人だ。限られた時間で、どれだけ、歴史から、環境から、他人から、そして自らの経験を通して学び、行動を変え、成長できるかが重要だと思う。
松下幸之助は生きている間に1500社以上の会社を作り、2000億円以上の財産を残した。その松下幸之助の最大の能力は、小学校中退というハンデを背負いながら、常に謙虚に出会った人、自らの経験、過去の出来事、歴史などあらゆる人、あらゆること、すべてのことから多くののことを学び、それを実践に活かしてきたことだと思う。
あらゆることから常に謙虚に学べる人は少ない。学校で学んだり、本を読んだりして、ついつい人は自分が賢くなったと勘違いして、謙虚に人を話を聞かなくなったり、逆に知ったかふりして、偉そうに語ったりしてしまう。自分が一番分かっていると自惚れた時から、人は学ばなくなり進化、進歩が止まってしまう。
常に謙虚に学び、それを実践しては、振り返り、反省することを愚直に何度も何度も行うことなくして人は成長することはできない。成長するとは、学び続けることであり、人生に限界を設けず、常に高い志を持って努力をし続ければ、必ず成功することができると思う。
京セラの創業者である稲盛和夫さんは、「自分は失敗したことがない」と語っていた。なぜならば、稲盛さんは「成功するまで続ける」から失敗しないのだと言う。稲盛さんの偉大さはそこにあると思う。成功するまで続けるとは、常に学び続けることに他ならない。この学び続けるスキルこそ最高のスキルである。
日本を良くするにはどうすれば良いか
日本は、いつからおかしくなったのであろうか?戦後の焼け野原から奇跡的な復活を遂げ、1979年にはJapanasNo1 と言われ、高度経済成長を謳歌した。しかし、1990年にバブルが崩壊し、日本経済は長く暗いトンネルに入り込み、失われた20年が経過した。
1985年以降の金融自由化で投機マネーが動き、実態経済から乖離したギャンブルをして多額の不良債権を作り、自らデフレスパイラルを作り、政治・経済・教育のあらゆる面で潜在的な問題を抱えてきた。
日本の何がいけなかったのか、それは歴史が検証してくれるであろうが、今のうちに何らかの対策を講じなければ、日本という国はタイタニック号のように沈んでしまうのではないかと思う。これから起こりうる、更なる天変地異にも対処し、世界的な経済不況の荒波にも耐え、世界的な国のパワーバランスが崩れて世界中が不安定になる状況において、急激な少子高齢化が進む日本で何が必要なのであろうか。
国益を増大させる経済、国益を守る政治は大切であることは
言うに及ばないが、その国益そのものを創りだす国民の能力向上が最も必要ではないだろうか。いつの時代も国を支えるのは人、そのものである。
その人の力が落ちてきたのが今の日本の最大の問題ではないだろうか。成熟した国として高齢化が進むのはやむおえないが、国際社会でみると、米国はグローバルに移民を受け入れ国として継続して成長し、国益を増大させてきている。日本は島国であるため、超大国を目指すようなことは必要ないが、すくなくとも国として衰退の道を選ぶ必要もないと思われる。
では、国土が狭く資源が少ない日本という国が、継続して栄えるためには、何が必要なのであろうか。それは、国を支える国民の能力をグローバル社会において継続して向上させていくしかない。国民の能力を継続して向上させるにはどうすれば良いか、次回、考えてみたい。
人類の歴史は能力開発の歴史と言っても過言ではない。人が生き続けるためには、外敵から身を守り、環境変化に対応するため、常に自らを磨き、研鑽し、成長していかなければならない。この成長し続けることのできる人種が生き残り、成長できない人種は衰退する。それが人類の歴史である。
その人類の歴史を紐解いた時、どういう人種が生き残り、どういう人種が衰退してきたか、よく考えなければならない。古代ローマ時代を研究している塩野七生さんは、ローマ人が歴史的に長く生き続けた要因として、人間の本質を見抜いた上で歴史観をもって仕組みをつくったリーダーの存在を掲げている。
人は集団でしか生き続けることができないとすれば、その集団を率いるリーダーの力量と、その能力の継承に人類の未来が託されていると思われる。日本の歴史を紐解いても、色々な要因があったにせよ、どんな環境においても、その条件に屈することなく、民衆を導いたリーダーにより新しい歴史が拓けてきた。
では、どうすれば、多くの人を救うことのできるリーダーを輩出することができるのであろうか。これも歴史を紐解けば明確で、リーダーは生まれながらにして存在していた訳ではなく、数多くの逆境に揉まれ、時代の趨勢の中で、使命と志をもったリーダーが育まれ、新しい時代を築いてきたと思う。
それは、計画的というよりは、厳しい環境の中で醸成され、ある時間を隔てて偶発的に生まれるものではあるが、その偶発性は、能力レベルの高い人材と、その人材が能力を高めることのできる環境と、その能力を発揮するチャンスが揃った時に初めてリーダーが生まれる。その条件を国としてどれだけ満たすことができるかが重要である。 今、世界ではグローバルなタレントの争奪戦と、グローバルな能力開発競争が急激に進んでいる。そのグローバル競争で勝ち抜いた民族が富を占領し、世界的に格差を生んでいる。益々加速する格差社会に向けて国として、そして個人として、どう戦っていかなければならないか、今、正に問われているのではないだろうか。